『原発事故の風評被害に苦しむ福島県の生産者を支援する同県産品店を、大型商業施設「マリノアシティ福岡」(西区)に開く計画が、批判メールなどが相次ぎ中止となった。
メールや電話は4~7日に計30件ほどあった。「福島を行き来したトラックは放射性物質をあちこちにバラまく」「九州に福島の物を持ち込むな!」「汚染された野菜を売るなら不買運動をする」など』
何気にネットを調べてみると、中止や批判メールを指示する声も結構多いようです。
ちょっと前にも陸前高田の松を京都の五山送り火で焼けないというニュースもありました。
(あの時は僕は憤慨したけど。陸前高田にボランティア行っていたしね)
今回も憤慨したけど、冷静に考えると気持ちも分かるのです。
だって、ぶっちゃけ自分たちの土地とは関係ないものね。
先日札幌に帰って、ちょいちょい人と話して・・・・
東京の僕と比べて、明らかに震災も原発も「遠いところ」で起こった印象がある。
例えば、札幌で教師をしている僕の弟は、学校の避難訓練のアバウト加減に結構びっくりしたそうです。
今年の春まで東京にいて、あの地震を経験している彼は東京の学校の避難訓練の綿密さを知っているから。
やっぱり「対岸の火事」は否めない部分もあるのです。
(もちろん、ちゃんと綿密にしているところもあると思いますよ)
良い悪いではくくれない、距離から来る意識の違いはある。
よその土地で起こった危険な事を、その危険性が0%でない限り、自分の土地には入れたくない。
東日本で起こった事なんだから、東日本で処理して欲しい。
その気持ちはよく分かります。
その「土地の問題」として考えるか、「日本の問題」として考えるか・・・・
西日本では前者と捕らえる人が多いし、東日本では後者と捕らえる人が多い。
(あくまで大ざっぱにね)
そんな実情をちょっと感じた。
今回だって、だから福岡は冷たいとは、短絡的には考えられない。
どっちが正義でどっちが悪意かなんて、言えない。
けど、一番怖いのは「福島→放射能」の単純な恐怖心で、福島という土地を全否定すること。
避難して来た福島の子供が「放射能がうつる」差別を受けて転校を余儀なくされる。
福島ナンバーの車というだけで拒否される。
そんな問題もちらほら目にします。
「福島のものは全て危険なもの」
福島の人が「福島です」言えない社会になったら、それは日本という国の正義の崩壊だと思う。
風評は、正確な知識を伴わない、漠然とした恐怖心から生まれる。
些細な事が、恐ろしく巨大で理不尽な力で人を襲う。
だって、日本中にゲンパツあるんだぜ。
個人的には、「トラックが放射能まき散らす」はアホかいなって思う。
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