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語りたいこと、語れないこと

毎日夢座の稽古が続いております。

昨日は「問天会」の方が稽古を見に来てくれました。
僕の演じる戦犯たちの収監されていたモンテンルパ刑務所から名前を取った留守家族会です。
お父様が助かった元死刑囚で、帰国後に誕生されたそうです。
稽古後お話を伺いました。
そこでわかったのは、戦争に行った方たちは決して全てを語っているわけではないということ。
 
考えてみればそうですね。
本当は無罪の方も大勢いたけれど、基本的には民間人を殺した罪で捕まっているわけです。
収監中は日本の家族も「戦犯の家族」という目を向けられ、中には結婚や就職を断られた方もいたそうです。
ひどい話だよね。
帰ってきた本人も決して誰にも言うまいと決めたこともあるでしょう。
むしろそういう人の方が多いのではないかと思うんです。
自分への目、家族への影響、罪の意識、「なぜ自分が」という不条理・・・・
 
戦犯に限らず、戦争に行って人と殺しあった話なんて、僕だったら子供には語れません。
それでも語っているのは、「風化させてはいけない」という使命感でしょう。
僕らは今残っている話が戦争の全てと受け取りがちです。
加害者としての戦争体験を語っている方というのは、本当に極々一部の勇気ある方々で、その裏には語れない封印された記憶が山ほどあるのだろう。
そんな印象を受けました。
 
南京大虐殺だって従軍慰安婦だって、もし関わっていたら「関わってました」なんて僕だったら絶対言わないもんね。
「記録がないからそんな事実はなかった」と断定する前に、今残されたわずかな勇気ある言葉から、その裏にあるものをどれだけ想像できるか、そんな理性的探求心をちゃんと持たなくちゃいけない。
実際の語り部たちがもう残り少ない中、その言葉を受け継ぐ世代に課せられたものを感じた一日。
「問天会」とは「天に問う」という意味を込めたそうです。
 
これはモンテンルパの刑務所。
いまだ現役なんだって。
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紅葉坂はきついから筋肉痛になるのよ

稽古場に行くのに「紅葉坂」という坂があって、「紅葉橋」というかわいい橋がかかっています。
 
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秋だったら紅葉が綺麗なのか、かつて紅葉が群生していたのか・・・・
地名の語源を考えると、ちょいとウキウキします。
東京は江戸時代からの地名も多いので、下町の方に行くともうウキウキしっぱなし。
「人形町」「馬喰町」「神楽坂」なんて、想像力が刺激されるでしょ?
自分の作品に使いたい名前も沢山あります。
以前「髪結橋」というのを浅草で見つけて「髪結橋のロビン・グッドフェロー」という作品を書きました。
洒落た地名が付いてるだけで、何となく面白そうに響くマジック(笑)
 
今一番気になるのは「面影橋」という地名。
素敵でしょ?
市電の駅名になっているんですが、なんとも言えない切なげな味があります。
おまけに春には桜がすごく綺麗なんですよ。
通るたびに「面影橋」の物語をあれこれ想像してしまうのです。
 
ちなみに「月ノツカイ」の舞台「古都呂町」はアイヌ語の「ニシコトロ」から来ています。
「空」と言う意味です。
なんか、いいでしょ?
芝居観たくなったでしょ?
というわけで、最後に宣伝(笑)
 
 

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中一の息子は元日を「もとび」と言った

アホ野郎め。
親の顔が見たいわ。
 

今年はなんだか、正月らしい正月じゃないです。

ギリギリまで仕事でバタついて、年明けから仕事でバタつくせいか、むしろ休まない方がペースが維持できていいのにってな感じです。
ありがたみがないね。
That's働く日本人的な発想。
それでもやっぱり年末年始は呑んだくれましたよ。
休みだもんね。
呑んだくれて床で落ちてる間に年を越えてた。
That's残念な日本人的行動。(笑)
 
日本人的といえば、なんだかここ最近は日本がずいぶん不自由になった気がする。
SNSなんかが充実したせいで、報道の真偽や、嘘じゃないけどあえて触れないことで人の関心を外すシステムが機能している現実を目の当たりにした。
(例えば、日本の火山活動はものすごく活発化してるけど、原発と組み合わせた報道が一切ないとか、国会議員の給料が実は20万円上がっているけど、あまり報道されないとかね)
僕らの与えられる情報は、明らかに意思のある操作の上に提供されていて、日本全体がそんな流れの中で動いている。
思考停止して与えられる情報を額面通りに受け取っていると、近い将来日本は戦争をする国になるでしょう。
ちょっと考えたらぞっとするんだけど、それに警笛を鳴らそうとすると「異端」視する流れができつつある。ああ、あいつ左なんだ、みたいな。
逆に戦後70年経って今の日本では「積極的平和主義」なんていうわけのわからない言葉の方が現実的に響いたりする。
原発だって、現実にはなくても大丈夫なのに、増えてきた自然エネルギーの買い取りをやめてまでも「それなりに必要なんだよね、原発も」という流れを政治で作りつつ、 維持しようとしている。そこには巨額の原発マネーがあることはみんな知っているけど、「まあ、いいか」に収まりつつある。
 
まあ、僕は俳優座という左思想の劇団で育ったから、そんな思考もある程度強いのかもしれないけど。
 
そして、個人の発言も結構気を使う時代になった。
ブログやFBやツイッターで、ちょいと強気な発言をすると、「炎上」で袋叩きにあう。
だからなるべく当たり障りのない発言に止めて、「丸く収めた」感のあるところにしておく。
全方位に対して気を使わなくてはならなくなる。
「辛口」と言われる人も、本質的には全然辛いこと言ってないものね。
言葉の調子が尖ってるだけで。
匿名な人だけが「ネトウヨ」みたいな形で暴走する。
本来発言自由な個人の言葉が、自主規制に縛られる。
そんな窮屈さみたいなものが、僕はたまらなく嫌いなんです。
表現活動をしている人間にとって、自分の主張もろくにできない事ってたまらない。
 
去年はそんな窮屈さが結構臨界点だった。いろんな人に気を使っていたし。
てな訳で、今年は自分の思うことはどんどん発言していこうと思います。
え?今までもわりとそう?
いやいや、これでも結構臆病に生きてきたんですよ。
でも、やっぱり「自分」が思考停止に陥ると、人は存在として死にます。
今年は「俺はこう思う」ってことは、自信を持って発言し、行動していこうと思います。
そんなわけで、今年のテーマは「PRIDE」
 
正月早々、小難しい話でしたが、皆様今年もよろしくお願い申し上げます。
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