語りたいこと、語れないこと
毎日夢座の稽古が続いております。
昨日は「問天会」の方が稽古を見に来てくれました。
僕の演じる戦犯たちの収監されていたモンテンルパ刑務所から名前を取った留守家族会です。
お父様が助かった元死刑囚で、帰国後に誕生されたそうです。
稽古後お話を伺いました。
そこでわかったのは、戦争に行った方たちは決して全てを語っているわけではないということ。
考えてみればそうですね。
本当は無罪の方も大勢いたけれど、基本的には民間人を殺した罪で捕まっているわけです。
収監中は日本の家族も「戦犯の家族」という目を向けられ、中には結婚や就職を断られた方もいたそうです。
ひどい話だよね。
帰ってきた本人も決して誰にも言うまいと決めたこともあるでしょう。
むしろそういう人の方が多いのではないかと思うんです。
自分への目、家族への影響、罪の意識、「なぜ自分が」という不条理・・・・
戦犯に限らず、戦争に行って人と殺しあった話なんて、僕だったら子供には語れません。
それでも語っているのは、「風化させてはいけない」という使命感でしょう。
僕らは今残っている話が戦争の全てと受け取りがちです。
加害者としての戦争体験を語っている方というのは、本当に極々一部の勇気ある方々で、その裏には語れない封印された記憶が山ほどあるのだろう。
そんな印象を受けました。
南京大虐殺だって従軍慰安婦だって、もし関わっていたら「関わってました」なんて僕だったら絶対言わないもんね。
「記録がないからそんな事実はなかった」と断定する前に、今残されたわずかな勇気ある言葉から、その裏にあるものをどれだけ想像できるか、そんな理性的探求心をちゃんと持たなくちゃいけない。
実際の語り部たちがもう残り少ない中、その言葉を受け継ぐ世代に課せられたものを感じた一日。
「問天会」とは「天に問う」という意味を込めたそうです。
これはモンテンルパの刑務所。
いまだ現役なんだって。
| 固定リンク
| コメント (7)
| トラックバック (0)
最近のコメント