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A4劇場「夕暮れ」

私、「いい子」だったんです、ずっと。

3つ上の姉がいたんだけど、自由奔放な人で、「嫌なものは嫌!」って親とぶつかってばかりで、私は自然と……そう、なります。だから、いい子っていうのは、本当の意味で「いい」ということじゃなく……
あ、嫌いなんじゃないんですよ、姉のこと。むしろ羨ましい。自分のやりたいことを堂々と言えていいなあって。
ただ、やりたいことがコロコロ変わるんだけど、自由人だから。

だから、私が絵を始めた時に驚いたって言っていました。あんた、絶対そんなタイプじゃないって思ってたって。パパと同じ公務員になるのかと思ったって。

父は、地方公務員だったんだけど、典型的というか……私、二十歳まで門限が8時だったんですよ。二十歳ですよ。いつの時代って感じだけど、当時は逆らいませんでした。逆らえませんでした。その他も、進学とか。

絵を描き始めた時も父は大反対だったんです。「そんな、何の役にも立たない。やめなさい」って。
確かにそうだけど……ううん、違う。役には立ってました。私は、私自身には。
私は自分を外に出すことは苦手で……でも絵を描くっていうことは、これと出会った時は、なんだか救われた気持ちで、人生が、ちょっと意味があるっていうか……だから、どんなに反対されても、辞める気にはならなかったんです。
これを手放したら、死んじゃうって思った。

逆らいました、初めて。

家を出てわざと離れた九州の大学で絵を勉強して……九州は楽しかったです。

初めての個展は、横浜でした。桜木町の小さなギャラリー。
家を出てから一度も故郷には帰らずに、横浜に住んだんです、港町に住みたくて。いい街ですよ。古い路地とか坂道とか、結構味があって。
オープニングには姉と母が来てくれて、嬉しかった。
姉は「すごいね、わかんないけど」って。そんな人なんです。母は何度も小さく頷いて絵を見ていました。なぜ頷くんでしょう……

最終日の夕暮れ、ギャラリーを人に任せて食事に出て、帰ってくると、父がいました。

びっくりしました。
定年退職していたことは知っていましたけど、久し振りに見る父は、とても小さく見えて……なんだか……微動だにしないで、絵をじっと見つめて……
父が見ていたのは、横浜に来て、最初に描いた絵でした。卒業して最初に描いた……父の顔です。もっともそれが自分の顔かどうか、本人がわかったかどうかはわからないですけど。

なぜ父を描こうと思ったんでしょう。

わからない。でも一人でこの街に来て、最初に描こうと思ったのはそれでした。
横浜、モチーフになるものがたくさんあるんだけど。

夕暮れの日がさすギャラリーで、絵を見ながら佇んでいる父は、なんだか一枚の絵みたいで、とても哀しくてきれいだった。

ああ、これで完成したって思った……

※これは、A4一枚に収まる「A4劇場」
レッスン用に書き下ろしたモノローグ用の作品です。

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ボンクら、いやボクらはどうやって生きていこうかねえ……

コロナで自宅待機の日々、皆様健康に過ごされていますか?
アタシャ、遅起き⇨飯⇨買い物⇨昼寝⇨洗濯⇨夕寝⇨飯⇨酒⇨夜更かしという自堕落サイクルから抜け出すことができません。
すっかりボンクラ

さて、これが収束しても、すべてが元に戻ることはないと言われているそうです。
このだらしない性質も元に戻らないのかしら……

でも確かに世界は「コロナ前」「コロナ後」に分類されるくらい、構造やらシステムやらが変わるような気がします。

生活は?我々の仕事はどう変わるのだろう(もちろんその前に経済だけどね。かねくれええい!)……

★映像⇨元の通りの撮影再開は「ミツです!」状態になるので、難しいでしょうね。スタッフさんは最小人数で、画も1ショットが中心になったりするのかなあ……そこまで行ったらかなりの制約になるよね。でも宴会のシーンとか撮ると、やたら抗議とか来たりして社会的な制約もありそうな気がする。やだなあ。野外のシーンとかみんなマスクしてるのかなあ……

★演劇⇨こりゃ大変ですよね。客席完全にミツだから。大劇場でも1席とか2席づつ開けて再開、みたいになるのでしょうか。満席でも半分とか3分の1とか……でも「収束しました。はい、ミツ!」ってことには絶対ならないよね。それだと収益を上げることができないよね......
小劇場になったら、こりゃあ大大大変です。昔やってた「ハイ、みなさんお尻をあと2センチずつ右へずらしますよ!せぇーのっ!」みたいなことは夢のまた夢。演じ手もお客様も少数精鋭。緊張感みなぎる感じになりそうです……「小劇場文化」そのものが様相を変えなくてはならないかもしれません。「満席が罪」って矛盾だあ。

★音楽/踊り⇨これは僕は少々門外漢ですが、映像や録音で生き残りの道を探れそうですね……しかしライヴ芸術という意味ではやはり表現のフィールドが狭くならざるを得ないかもしれません。

そうなると、僕ら表現をしている側も、何かしら自分の表現の「多様性」なるものを考えなくてはならないのかもしれない、少なくともこの1.2年は。今あちこちで映像で演劇を、ZOOM演劇的なものも模索し始めていますが、演劇の持つ「空間芸術」という立体感やお客様との「繋がってるぜ!」感からはかなり遠ざかってしまいます。

なかなか、答えが出ない……

そんなわけで、今僕のできること。僕の「手持ちの武器」は何かしらと考えました。そうじゃないと頭が袋小路。
まず「演じる」こと。それからとりあえず、物語を「書く」こと。

ただ「物書き」というには語彙も表現力も貧弱すぎます。
そこで、とりあえず、僕がWSやレッスンで使う台本。これはだいたい毎回自分で書いているのですが、これを小作品として細かく発表してみようかな、と。

一つは自分を鍛えるためでもあります。人の目に触れたほうが批評性があるので。
数を書いたほうが、自分でも修行になるし。一人でも読んでもらえたら心の張りになるし。
人に語って欲しいという思いもあります。何か、時間のある時にシーンの練習にしてもらえたらと。
もしかしたら、そこからリモートな「教え」「演出」みたいなことに発展するかもしれません。
(そこまで行けばいいけど、あまり欲を張らずに)
感想など頂けると嬉しいです。

どういう形で出そうか考えていますが、一応ルールはあります。
レッスンでも使うことを想定しているので、

① A4一枚に収まるくらいの分量。
(ダイアログだと2、3分。モノローグだと、だいたい1200字以内、それでもセリフとしちゃ長いけど)

② ある程度の起伏があって、なるべく簡単な口語、会話で構成されていること。
(セリフなので。それから映像作品にもできるくらいのニュアンス。起伏はいろんな表情/音色を見せるため)

③ 演じ手にある程度想像の余地があること。
(あまりガチガチでは面白くないので、設定を自分で考えられる部分があるように。モノローグは情報量が多い分制約が出ちゃうけど)

とりあえず、次のブログで直近で書いたモノローグから地味ーに発表しようと思います。笑

写真は今日買い物で、別な道を歩いたら出会った階段。
階段道、好きなんです。
登ったところに素敵な小さなレストランがありました。
解除されたら、食べに行こう。

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